「百年河清を待つ」中国と「百年恨」の韓国の呪縛 無名ジャーナリストの仕事
「梨本宮記念財団」梨本隆夫代表理事の“戦い”は続く!
ヤタガラスのつなぐ縁
2024年11月23日、梨本宮記念財団・梨本隆夫代表理事による毎月恒例の白川伯王家墓前での祭典に、ハワイの「ジュジュベ・クリニック」亀井士門院長らを案内する形で、筆者も参加した。
梨本宮とハワイ王家の末裔であるバンピー・カナヘレ元首(ハワイ独立国元首)との縁をつないでくれたのが、亀井院長である。亀井院長は見た目は純粋な日本人のようだが、日本とアメリカのクオーターである。
2つの国を跨いで、あるいはその狭間を生きてきただけに、逆に戦後の日本人が失った古き日本人の良さ、純粋さを持っている。東洋医学博士であると同時に、日本並びにハワイに伝わる武術の師範でもあり、家や道場などの要所には神棚を祀っている。
縁とは不思議なものだが、ハワイ独立国もジュジュベ・クリニックも、もちろん梨本宮記念財団・梨本隆夫代表理事の出身母体である出羽三山・羽黒山修験道も、象徴は同じヤタガラスである。
そのハワイ独立国のワイマナロの広場には、2017年12月、日本から送られたヤタガラス像が鎮座している。国も生まれも異なるとはいえ、同じ霊統を受け継いで、いま再び交わっているということである。
ヨーロッパ初のサンマリノ神社
亀井院長はクオーターだが、同様にいまや日本人以上に日本を愛する外国人代表が、駐日サンマリノ共和国のマンリオ・カデロ特命全権大使である。
駐日大使の外交団長として日本の皇室・歴代天皇に心酔するとともに、日本の伝統文化や仕来りに敬意を示すとともに、そのベースにある縄文文明及び神道(古神道)を、世界の平和のモデルとして、日本の歴史の真実を外交評論家・加瀬英明氏との共著『神道は世界を救う』(勉誠出版)や、自著『靖国は世界中にあります』(ワニブックス)などに著している。
カデロ大使の令夫人は日本人だが、しとやかに見えて、実は居合道の達人として知られる。出羽三山の湯殿山では神前で真剣での試技を奉納したこともある。
その出羽三山はカデロ大使が、日本中の神社を巡って、もっとも感銘を受けた神社であることから、梨本代表理事の戦後処理に関する重要なパートナーとなっている。
2014年には、東日本大震災の犠牲者を追悼するため、ヨーロッパで初めて神社本庁公認のサンマリノ神社を建立している。宮司は出羽三山での修行を経て就任している。
ヨーロッパにおける神社建立の動きはフランス、スペインなどにも及んでいるとのことで、日本にとっては、実にありがたい“応援団”である。
同時に、カデロ大使は梨本代表理事の活動の意義を代弁する形で、過去の戦争の歴史を持ち出して、いまなお反日を国是とする国や国民に対して、世界の戦争の歴史を見よ、ものごとの本質を見よ、縄文文明を見よ、そして靖国神社の真の姿を見よと様々な形でメッセージを続けている。
そこには、イタリアの中にある世界で5番目に小さいサンマリノが、世界最古の共和国として、西暦301年の建国以来、一度も戦争をしてこなかったという自由と平和の国だったとの事情も、大きく影響している。
その自由と平和の国に生まれ育った彼は「日本的霊性」(真の日本人の宗教意識)を現在の日本人以上に理解している。
世界中にある“靖国神社”
カデロ大使の著書『靖国は世界中にあります』の表紙には「日本のみなさま、堂々と英霊に感謝してください」と書かれている。帯には「日本は神道の国、戦死者を祀る神社があることはごく自然なことです」とあり、裏表紙にも「祖国のために戦って、亡くなった兵士たちは犯罪者ではありません!」と書かれている。
本書には世界の戦争に従事する国の指導者、戦争するための理屈を振りかざす人たち、ついでに反日を叫ぶ国家・国民に聞かせてあげたい内容が、靖国神社の存在を通して語られている。
なぜ、日本の植民地、日本の支配下に置かれたアジア・太平洋周辺諸国の大半が、基本的に親日国であるのに対して、中国、韓国・北朝鮮だけが反日を続けているのか?
有史以来、戦乱の続くヨーロッパで、1700年以上、戦争のない時代を生きてきたサンマリノの国に伝わる精神は、現在の議会の進め方など、国の運営、在り方の随所に見られることだが、なぜそれが可能だったのか?
もちろん小国だからできるということはあるが、もっとも大きな要素は、カデロ大使は直接的な表現はしていないが、要するに「霊性」の問題だということである。
その霊性を、彼は日本の神道の世界に見て、さらには戦いの痕跡のない平和な縄文文明があることを知り、極東の小国・日本こそが、世界の平和のモデルになるべきだと確信しエールを送っているわけである。
靖国神社を念頭に、彼は世界の各地にある戦没者慰霊施設、戦争記念施設について、そうした施設をつくるとき「良い兵士と悪い兵士を選別することなどできません」「良い戦争記念施設、悪い戦争記念施設と区別することなど、そもそも理に適っておらず、無理な話なのです」と書いている。
許しがたい悪い兵士、ひどい戦争指導者がいたとしても、それもまた戦争のためだというのが、彼の指摘である。日本の靖国神社も同様で、有罪判決を受けた約1000人が祀られていることを問題にする人たちがいることに対して「その戦争犯罪者が“本当に”有罪だと、誰が何をもって証明できるのでしょうか?」と書いて、彼は「本来は、戦争行為自体が犯罪なのですから」と、根本的な問題を指摘している。
聖書の言葉にある“真実”
サンマリノ共和国はキリスト教国家であることもあり、カデロ大使は「聖書の言葉から考える」との一節を設けて、靖国神社並びに敵の兵士を「分けること」のナンセンスさを論じている。
彼はヨハネによる福音書第8章の「汝らの中、罪なき者、まず石を投げ打て」の言葉を引いて、ある日、学者たちが姦通の罪で捕らえられた女性を、イエス・キリストの前に連れていった。「姦通をした女は石で打ち殺せ」と、モーセは律法で命じている。「どうしますか?」と、問われたときのイエスの答えが「あなたたちの中で、罪を犯したことのない者だけが、この女に石を投げなさい」というものだった。
学者たちは、イエスを追い詰める目的で問いかけたのだが、返ってきた答えにぐうの音も出なかったという逸話である。
自分(自国)のことは棚に上げて、相手を批判するのが、戦争の絶えない時代の行動様式である。毎年夏、靖国神社への政治家の参拝問題が否定的に報道されるのを目にする度に、彼は聖書の言葉を思い出すのだという。
その靖国神社は、戦後、GHQ(連合国軍総司令部)により、解体の運命にあった。それを知ったGHQ補佐を務めていたドイツ出身のビッテル神父が、マッカーサー最高司令官に面会、靖国神社がアメリカのアーリントン国立墓地と同じ意味を持つ施設だと説明して、解体は中止になったということだ。
そうした日本とアメリカの関係が、世界の平和のモデルとなるのは、許すことによって新たな関係が築かれたためである。
それも、たとえ戦争とはいえ、日本は「原子爆弾を二つも落とされ、広島と長崎は壊滅させられたのです。史上最悪の戦争だったと言っても過言ではないでしょう。それでも今日、アメリカにとって最大の友好国はおそらく日本です」と、カデロ大使は書いている。
同じように、ヨーロッパの国々はドイツを許し、ベトナムはアメリカを許し、世界では許し許される関係が広がっている。
「だからこそ、世界中の人々は、なぜ戦後76年(当時)も経って、中国、韓国・北朝鮮がいまだに日本に対して憎しみを抱き、非難し続け、悪感情を持ち続けているのか理解できないのだと思います」と、日本人の代わりに述べている。
中国、韓国・北朝鮮には「平和のために未来を見てほしい」というわけである。日本人が言えば、火に油を注ぐだけの発言を、彼らはどういう思いで聞くのだろうか。
YAP遺伝子
中国と韓国・北朝鮮だけがなぜ、反日なのか。近親ゆえの愛憎は個人レベルでも見られる相反する感情だが、国レベルでも近くて遠い中国、韓国・北朝鮮独自の伝統文化、行動様式が深く関わっている。
梨本宮方子女王との結婚により、李垠殿下との結婚が破談となった元婚約者・閔甲完は生涯独身を貫き、自らの人生手記「百年恨」を残している。例外はどこにでもあるが、一般的に韓国での「百年恨」の百年は「永遠」を意味する。
神道の禊ぎ、水に流す文化がある日本では、およそあり得ない思考法であるが、実は中国の百年も似たようなものとしてある。
中国には「百年河清を待つ」という言葉がある。日本の川の特徴である清流に対して、中国のイメージは黄河・揚子江などの大河から来る濁流である。
中国における百年も、永遠ということだ。日本では大河の水も百年待てば澄むと考えがちだが、本当の意味は「中国の大河はいくら待っても、澄むことはない」という意味である。転じて、いつまで経っても実現の可能性はないとの例えとされる。
日本と中国、韓国・北朝鮮は、同じ東洋の国に分類されている。だが、近年の反日の歴史を顧みれば、霊性あるいは文化の発展のちがいとともに、民族の魂に刻まれた遺伝子レベルのちがいがあるとの指摘もある。
それが日本人のYAP遺伝子である。この遺伝子を持つ民族は、まじめで親切で勤勉だと言われている。“親切遺伝子”の別名を持つという、この遺伝子は古代イスラエルと日本に多いとされている。他にはチベット、ブータンなどに限られていて、興味深いのが、大陸系の中国や韓国・北朝鮮にはほとんど見られないということだ。
それは、もし原子爆弾が落とされたのが、中国、韓国・北朝鮮であったら、アメリカはいまも史上最悪の戦争犯罪人として、永遠に許されることはないということである。
カデロ大使が指摘するように、日本が許したことによって、日米はかつての不幸などなかったかのように、強固な同盟関係を続けている。実態が属国ではあっても、それは相手の霊性、文化の発展のレベルの問題である。それでも、確かな平和のモデルとして、戦争の絶えない世界にとっては、大きな意味がある。
そして、百年つまりは永遠に変わることのない国にも、歴史の流れはある。やがて来る霊性の覚醒、文化の発展に期待して、日本は世界に平和のモデルを示していく他はない。
自然=神が示す「道」の本質
日米関係に「恩讐を超える」重要さをメッセージしてきたのが、梨本代表理事である。
歴史的な因縁の断ち方は、繰り返しになるが、不幸の手紙が参考になる。切れば、そこで終わるからだが、誰もができるわけではないため、いまも常に問題とされる。
それを実現するには、徹底的に許すこと、譲ること、与えることを通じて、それこそが幸せへの道だと知る必要がある。
そこでは日本における神道の禊ぎ・祓いを通して、水に流す知恵が文化として、そのまま「道」になっている。
一子相伝、口伝で伝えられた伯家神道の神髄は「神伝相承」の御道である。
それは霊能に頼る世界ではなく、霊性の覚醒が自ずから求められる道としてある。
『伯家神道』の著者・松濤広徳氏は「霊能と言われるものは、あまりにも不完全な世界である。御道は、本来、個人的な悩みごとを見極める場所ではない。高い霊的世界に繋がることをこそ、目指すべきである」と書いていて、霊能と高い霊的世界とは、レベルが異なることに注意を促している。
すべての神道の知恵、道の本質は、自然=神が示している。
木の葉は枯れて落ちて、地の栄養となって、還っていく。あらゆる不幸・不運もまた、世界の平和のための糧となる道筋であり、先祖供養こそが未来への投資という「ウエルネス@タイムス」の主張につながっていく。
人生とは「人」の「生」。人を生きることだと書いてきたように、修験、神道に接する家系に生まれれば、自ずからモノにはみな神が宿ると言われる教え、習わしの意味がその通りだと実感できる。
人生もまた、神とともにあり、神とともに生きることである。神道は、そのようなものであり、つまりは人はみな神の子、仏の子であることを自覚する。そのための厳しくとも無理なく理解できる、納得の方法としてある。
「修験、神道の家系に生まれれば」と書いたが、それは日本人、つまりは「人」として生まれればということと、実は同じことだ。そこでは本来一人ひとりが“神”になる。
それは明らかに異なる世界でも同様であり、俗界=実業の世界を生きながら、人の道を極めることは誰もが行っている。
「武道と神道は一つである」と伯家神道=白川神道の教えの中にもあるように、武道をはじめ日本ではすべてが道になる。
「神は偉大なるプログラマーである」との思いを自らの人生に重ねつつ、梨本代表理事の戦後処理、世界平和のための“戦い”はいまも続く。
道とは神・仏とともに歩くことであり、そのことを様々な修行、生き方を通して知ることだからである。
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