特派員レポート 禁酒大国? インドの意外なアルコール事情 ワイン並み、アルコール度数8%のビール!!
- vegita974
- 4月6日
- 読了時間: 8分
特派員レポート 禁酒大国? インドの意外なアルコール事情
ワイン並み、アルコール度数8%のビール!!


デリー最大のシク教会寺院
2025年2月19日、インドの首都デリーでの2日目。
地下鉄を降りて、オートリクシャーで連れていかれた旅行代理店で、赤いチョッキを着た白髪まじりのヒゲを生やした男性が、ボス(社長)が席を外したときに英語で、話しかけてきた。
「インドは初めて?」
「そう。そしてたぶん最後の機会だ」と答えた。
「東京から?」と聞かれて頷くと「住んでいるのか」というので、新潟だと言った。もちろん知らない。
「雪国だ」と英語でいうと、ヒマラヤ出身の彼は、目を輝かせて「ぜひヒマラヤを見に行くべきだ」と、いろんな写真を見せてくれた。
もちろん行きたいが、今回は時間がない。彼のセールストークに、もどってきたボスは「彼は山派だからな」と笑っていた。個人的には山もいい。しかし、結局は社長のセールストークで話が進んでいく様子は、前回書いた。

早速、専属運転手の若者を紹介されて、市内観光に行くつもりが、どうも思うようには行かない。
当初の目的である現代美術館とガンジー記念館のつもりが、なぜか16世紀にヒンズー教にイスラム教の長所を取り入れる形で成立したシク教の、デリーで一番大きな寺院「バングラ・サヒーブ・グルドワーラー」に連れていかれた。
シク教はカースト制を否定し、偶像崇拝をしない進んだ教えのようだが、信者数はインド全体の1・7%。仏教0・7%よりは多いが、ちなみにヒンズー教79・8%、イスラム教14・2%。キリスト教2・3%である。
境内には聖水の池があって、鯉が泳ぎ、亀や水鳥が遊んでいる。
イスラム、ヒンズーとのちがいはあるが、ここにもおそらく世界中から信者が集まってくる。現在はヒンズー最大の祭典が26日まで開かれている最中である。
そんな情報は特に検索していないこともあるが、現地で会った日本人旅行者も知らなかった。現地の旅行代理店の社長に聞いて、初めてわかることである。
何でも、デリー近郊でも夜はライトアップされて、人波で埋まる様子が写真にアップされていた。専属運転手は「夜10時まで引き回していい」とか言っていたから、貪欲な旅行者には使い勝手のいい話かもしれないが、70過ぎの老人にとっては行っても行かなくても話を聞いただけで十分である。
とはいえ、何事も思うようには行かなくとも、決して無駄にはならない。聖水の周りを巡っていれば、なぜか心癒されるような、心地良さを感じる。あまりに開放的で俗化しているために、秘められたパワーが発揮されないということか。
入口付近で迷っていたイギリス婦人2人に、運転手が何やら説明していて、ゲスト(筆者)を案内しているから、一緒に来る?と誘っていた。そのイギリス婦人2人と一緒に、バックヤードなどを見学した。
集会所なのか、休憩室なのか、大きなホールはランチタイムは食堂になっていて、信者もそうでない人たちも無料の食事を振る舞われる。バックヤードでは野菜をはじめ、チャパティ、パンなど自動の製造機・装置の力を借りながら食事をつくっていた。
チャイをつくる1室では、われわれもチャイをサービスされた。甘くて美味しいチャイである。イギリス婦人2人とは、最後に運転手が教会への入り方を教えて別れたが、確かに通常の観光ツアーではできない体験ばかりである。


教会を出た後、現代美術館に行くのかと思ったら「ガンジー記念館がある」と言って案内された。てっきりマハトマ・ガンジー記念館のつもりでいたら、国立インデラ・ガンジー記念館であった。
違和感を感じつつ、行ってみれば、何とインデラ・ガンジーに早稲田大学学長から贈られた賞状、日本語で書かれた「学位証」が、仰々しく飾られているのはともかく、逆さになって飾られている。

日本人が見れば気がつくことだが、一体、いつから飾られているのか。帰りに出口にい
た事務員に伝えたが、インドでは自分の仕事以外のことは余計なこと、自分の仕事ではないものとされる。
「事務局に伝えて」とか言っていたのは、そこはクレームなどの受付窓口ではないので、
「何かあれば、事務局に」ということだろう? 余計なお節介だが、早稲田大学総長にでも教えてあげたほうが早いかもしれない。


アルコール度数8%のビール
2時半近くになって、1912年創業という店に行ってランチを食べた。典型的なインドのヒンズーベジタリアン用カレー(ベジ・ターリー)である。食事前に手を洗う場所があるのはさておき、当然、おしぼりなどはない。
紙ナプキンはあるが、チャパティなど多少油っぽいので、おしぼり代わりに持ってきたウェットティッシュを2枚摘んで、運転手にも渡した。
2つある1つの器がヨーグルト主体で、さすがにこちらはほとんど残した。というか、お腹が空いていないわけではないが、朝から食べすぎである。
デザートにシャーベットかアイスクリームでも頼みたいところだが、運転手が頼んだのが、甘いスパイシードリンク。自分一人では絶対頼まない未知の味である。
「グッド?」と聞かれれば「グッド」と答えるしかない。いかにもインドらしいスパイス入りのドリンクである。
夕食は抜きにして、近くのマーケットでビール(500ml)を2日分、2本買った。
1缶50ルピーで、ハードとソフトがある。試しに1本ずつ買った。ちがいはアルコール度数であった。
何とインドのビールは、ハードが8%である。後日、バドワイザーを買ったところ、やはり8%。ほとんどワイン並みである。
昔、北朝鮮でビールを飲んだときに、やたら酔いが早いというか、目が回るような感じがして、ラベルの表示を見たら、度数7%だったことを思い出した。
発展途上国というか、厳しい生活・労働環境では、強い酒が主流になる。ビールも似たようなもので、宗教上の禁酒が当たり前だと思っていたインドでも、酒文化は意外な形で浸透していた。
世界遺産タージマハルがあるアグラに行った週末は、運転手が前日買っていたビールを手渡された。ディナー用かと思ったら、お祭りの週末はお酒を飲んで、楽しく過ごそうというわけである。
途中で運転手もビールを飲み出したので「日本では捕まるよ」と言ったら、インドでは多少は問題ないと言っていた。酒に厳しい国の意外な実態である。
お祭り期間中の特別な週末ということもあるが、まさに「ライジング・サン」インドの勢いを証明するかのような、何でもありのいい加減さ=柔軟性である。
ちなみに、翌日の日曜日は、お祭り期間中の休日とあって、禁酒のため、お酒は売っていない。ビールのストックもなかったので、必然的に休肝日になった。

インドでのチップの効果?
翌20日のジャパンエキスポについては、前回、レポートしているが、当日の朝、食堂に行くと、マネージャーが飛んできて「オムレツは?」というので、ベジタリアンだというとプーリーなどを薦めてくれて、食べ終わるころ「これも美味しいから、食べて」と2皿持ってきた。
キウイの挟まった2つ折りのチャパティと小さめの少し脂っぽいチャパティ風のもの。
チップの効果であり、2つとも美味しいが、明らかに食べすぎである。
部屋にもどると、前日、ワイシャツのクリーニングを頼んだ部屋係が来て、ホテルのアメニティグッズを持ってきた。カミソリなど、部屋にはついていないものもある。
こちらもチップ(20ルピー)の効果である。「私のキングだ」とか言って、何やら筆者の足下に触ろうと、まつわりついている風があった。
スボンの裾に何かついているのかと、不思議に思ったものだが、後日、インドでは賓客などの足に触るのが、ヒンズー特有の敬意の表し方だと教えられた。
なるほど、そうだったのかという感じである。

ガンジー・スムリティ博物館と現代美術館
ジャパン・エキスポの後、ランチは抜きにして、前日行けなかったガンジー・スムリティ博物館(無料)に行った。デリー滞在中、ガンジーが宿泊したビルラー財閥の総裁宅が博物館になっている。
1948年1月30日、ヒンズー教徒とイスラム教徒との融和を訴えた彼は、夕方の礼拝に向かう途中、この裏庭でヒンズー原理主義の若者に銃殺された(享年78歳)。

通路には礼拝堂に向かう彼の足跡が、残されている。インディラ・ガンジー記念館はインド人が多かったが、こちらはインド人だけではなく、欧米人が多い印象である。

庭園の一郭には、平和の鐘も設けられている。
国立現代美術館は外国人は入場料が500ルピー。インド人は20ルピー。「だまされたのか」と思ったら、表示価格通りであった。
広い敷地内に2つの館があって、モダンという感じでもないが、コレクション館は地下から2~4階まで、膨大な量の作品が並んでいた。とても、一度の訪問では足りない感じであり、事実、最後は駆け足で見て歩くことになった。
製作者不明の作品がいくつもあって、インドのアートシーンは、まだまだ発展途上というか、宗教的、民族的なアートの中に、近年の西洋画の影響などが未整理なまま、コレクションされている。その量と多様性に圧倒される。
外の庭園ではインドの家族連れなどが、持参したランチをあちこちで食べていた。ゆっくり時間を過ごすにはうってつけの場所である。
むしろ、インドの現代アート最先端を見るには、今回は行けなかったが、2023年にインド南部ベンガルール(ベンガロール)にオープンしたミュージアム・アート&フォトグラフィー(MAP)がある。
帰りにスーパーマーケットでナッツとマギーヌードル(のつもりだったが、日清カップヌードルのインド版だった)を買った。
ホテルそばの交差点まで来て、運転手に「ここでいい」と言って、ホテルまで歩いて帰った。
わずか100メートルほどであるが、その間にも「こんにちわ」とか日本語で話しかけられ、一人のおじさんが「このへんはプアな連中が多いからバッグに気をつけて」と言っていた。
日本人には、何かと大変な外国そしてインドである。


Opmerkingen