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撃墜王・小林照彦陸軍少佐の航跡『ひこうぐも』 ヘヴニーズ「フリーダムファイト9」府中・凱旋公演

撃墜王・小林照彦陸軍少佐の航跡『ひこうぐも』  ヘヴニーズ「フリーダムファイト9」府中・凱旋公演



 生徒たちが演じた撃墜王の物語  2024年6月、音楽一座「ヘヴニーズ」の座長・石井希尚氏のオフィスからヘヴニー ズの新作MV『大切なひとよ』がリリースされたとの案内が届きました。

  手を取り合って上を見上げ この道を歩き続けよう   信じる心ある限り 同じ明日を見続けよう

 と歌われるヘヴニーズ「大切なひとよ」のMV(ミュージック・ビデオ)は、1944 年11月、B29による首都・東京への爆撃が開始されてから80年。「忘れてはいけな い物語がある」と、今に語りつぐべきものを伝えるために制作されました。 「この作品を、小林照彦少佐と、妻千恵子をはじめ、未来に希望を繋ぐため尊い命を捧げ てくれた人々、そして、今も社会の矛盾に挑む全ての人々に捧ぐ」とのメッセージが流れ るように、これは東京空襲下の小林照彦少将と妻・千恵子の物語です。  小林少佐は当時、歯が立たない存在と恐れられたB29に、三式戦闘機「飛燕」(ひえ ん)を操り、敵機を撃退して帰還するという極度に難易度の高い任務を実行した「飛行第 244戦隊」の戦隊長です。  ゼロ戦で有名な神風特攻隊の陰に隠れ、語られることのほとんどない彼らこそ、帝都防 空の最後の砦だったのです。  この戦隊を率いた小林少佐は、弱冠24歳の帝国陸軍最年少戦隊長として、その働きぶ りから「撃墜王」の称号を得ています。  MVはヘヴニーズが主宰する「東京Y’sBe学園」の生徒たちが演じています。若い 彼らの知らない遠い過去が、残された映像とともに描かれることで、過去はなぜか新しく そして少し懐かしく感じられる印象深い作品になっています。  同MVの特設ページには、出演している少年少女達のメッセージや、楽曲にまつわる背 景などが描かれていて、80年前の物語が、確かに今につながっていることを実感させて くれます。



 妻が書いた撃墜王の航跡  MV「大切なひとよ」を見て、改めて1月27日、東京・府中「グリーンホール」で開 催されたヘヴニーズの凱旋公演の記憶が蘇ってきました。  当日のヘヴニーズスペシャル「フリーダムファイト9」は「東京大空襲80周年」を記 念して、神風特攻隊の陰に隠れ、ほとんど語られることのない244戦隊と、最年少戦隊 長・小林照彦少佐と妻・千恵子をクローズアップしていたからです。 「満員御礼」のステージは、ヘヴニーズの地元・府中での開催にもかかわらず、実は地元 以外のファンのほうが多かったそうですが、その府中には府中飛行場があり、小林夫妻が 当時住んでいたのが、会場がある府中グリーンホールの近くでした。  その自宅から、毎日、妻千恵子に見送られて飛行場に向かい、B29が飛来するたびに 出撃しては帰宅する日々を送っていたということです。  戦後、多くの部下たちを失う一方、彼はついに戦後も生き延びました。そして航空隊の 重要性を訴え航空自衛隊争の創設に尽力し、最初の幹部候補生として入隊しています。  その後、ジェット機訓練のため、米国にも留学。米国人との交流もあり、子どもたちと の充実した日々を送っていた1957年6月、練習機の事故で帰らぬ人となりました。事 故の際、前方座席の副操縦士を先に脱出させ、彼は制御不能の機体が市街地に墜落しない よう、脱出せずに機体もろとも散っていったということです。享年36歳でした。  ヘヴニーズの地元、調布を舞台にしたフリーダムファイト9の感動の舞台を見た後、改 めて、妻・千恵子の書いた『ひこうぐも』(撃墜王・小林照彦少佐の航跡/光人社NE文 庫)を読んでみました。




 読んでみて、その本『ひこうぐも』の持つ意味について、深く考えさせられました。  それは撃墜王を主人公にした戦記のつもりで手に取った者には意外であると同時に、一 読後は「序」にある元内閣総理大臣・中曾根康弘氏の「一入(ひとしお)深い感慨を覚え ずには居られない」との表現にあるように、手に取る度に感動・感慨を新たにするものと なっているからです。  敵機B29を蹴散らした撃墜王の単純な戦記ではなく、若くして軍人に嫁いだ妻による 戦争文学という以上に、それは多くの戦記にあるようなゴーストライターでは書けない実 に稀有な珠玉の文学作品となっています。  文庫本とはいえ、ページ数は606ページあります。2冊分の厚さにもかかわらず、ア マゾンのレビューにあるように、一気に読んだという人が大半です。  ぜひ、千恵子夫人の『ひこうぐも』を読むことをお薦めします。



 第244戦隊の真実  本は「いのち」というタイトルの章から始まります。 「果てしなく拡がる真夏の大空を、今日もまたジェット機が二機、白い尾をひきながら遙 か彼方に、けしつぶのように消えていきます」  という書き出しで、1957年(昭和32年)6月4日、帰らぬ人となった小林少佐の 「いのち」について、次のように続けています。 「平和の時代に於ける殉職、それを犬死にと申せましょうか。私には、何にも替え難い尊 い死としか思われません。世の人々の理解を望むのでもなく、自分自身の信念に基づいて 職務に殉じた貴方の精神は、貴方を知る人々の胸の内に、いついつまでも宿り続けること でしょう」「貴方亡きあとのこれから先の幾春秋、生き長らえねばならないことを思いま すと、過ぎし日のことどもが、遙か昔のことのようにも思われ、またつい昨日のことのよ うにも思われて、懐かしさと寂しさが交錯して、私を十五年前の追憶の世界に誘い込んで 行くのです」  そして、1942年(昭和17年)12月結婚式を挙げた翌日の朝について、彼女は次 のように記しています。 「朝はしらじらと明け初めた。窓ぎわのカーテンの隙間からさし込む朝の光を受けて、私 たち二人の輝ける人生の第一歩は踏み出された」と。  こうした何気ない表現が、どこのページでも、そのときの彼女の実際に思った心を素直 に表現していて、とても素人が書いた文章には思えません。しかし、プロが代わりに書こ うとすれば、かえって技巧に走ったりして、それは彼女の文章ではなくなってしまうはず です。  彼女の悲しみ、喪失感とも言える寂しさは「いのち」の章の言葉を見れば、よくわかり ます。  同時に幸不幸が背中合わせにある時代を生き延びて、不慮の事故で亡くなるのも不思議 なものですが、千恵子夫人による『ひこうぐも』という永遠に読みつがれる本が書かれた と思えば、幸せなことにも思えてきます。  そんな感慨に捕らわれるのも、当時の二人の思いも生き方も純粋なものだったからだと 思います。 「大和民族を保護し、山紫水明の此の神国を護らばやの純情を有するは若き我等のみ、力 なり。皇国の興産を担う力なり」と、小林少佐は244戦隊こそ、皇国戦闘機の真髄を把 握し、発揮するものだとの決意を日記に記しています。  そこでは、不幸は単なる不幸ではなく、不幸があって、本書が生まれています。そこに 小林夫妻の生と死が永遠に記されていくと、不幸がまるで永久の幸せに思えてきます。  ヘヴニーズの描く小林夫妻の物語もまた、現代版神楽だと思えば、平和のための露払い 役、禊ぎそして寿ぎ(言祝ぎ)という、まさに神楽のように見えてきます。  あるいは、ヘヴニーズの「フリーダムファイト」は舞台そのものがお祭りで、祭りの広 場の中心に築かれた櫓の上で行われる「ミサ」のように見えるとの一面もあります。  いずれも、それは戦争ではなく、平和のためのものであり、大切なひとと共有すべきも

のとしてあります。  そして、今回のヘヴニーズの物語からも、外国人にとって日本は天国という、かつて日 本を訪れた宣教師や幕末・明治期の外国人のコメントにみるような古きよき時代に、サム ライの国の真実があることがわかります。



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