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世界は本当の「戦後」の意味を知らない      無名ジャーナリストの仕事  李王家に嫁いだ梨本宮方子女王の次男・李玖殿下の死後19年目の真実

世界は本当の「戦後」の意味を知らない      無名ジャーナリストの仕事

 李王家に嫁いだ梨本宮方子女王の次男・李玖殿下の死後19年目の真実


 本当の「戦争責任」とは?

 ある企業家が平和活動に従事する中で、いわゆる「戦争責任」とは何かを論じていた。

 彼は一つの戦争に焦点を当てて、前後する世代を「戦前・戦中・戦後」に分けて戦争責任があると論じていた。なるほど一理あるようにも思うが、それで問題が解決することはない。相変わらず、世界は戦争を続けているのが、その答えである。

 日本に限っても「戦前」とは、例えば先の太平洋戦争・第二次世界大戦前、いわゆる戦前に生まれた人たちは、戦争を始めたという意味では「戦争責任」がある。

 だが、その世代にも国のリーダー層から、メディア、一般大衆それぞれの違いがあり、たまたま戦前に生まれ育っただけの教育世代もいる。

 国のリーダー層やメディアはさておき、そんな時代に振り回されただけの教育世代に戦争責任などあり得ないだろう。彼らも戦争の被害者であり、責任など押しつけられても困るだけである。

「戦中」の戦争責任も似たようなもので、戦争との関わり具合から、戦争に参加した世代(軍・兵隊)と、戦争という環境下にある世代(銃後)、そしてたまたま戦時下に生まれ育った世代とに分かれる。

 ここでも、戦時下に生まれただけの教育世代に「戦争責任」などあり得ないだろう。

 同時に、当事者でもない「戦後」生まれ、ましてやいわゆるZ世代以後など、どこまで戦争責任があるのかは、難しい問題というか、議論の分かれるところである。

 だが、自分の生まれた国であれば、財産同様、先祖のものを受け継ぐという立場・生き方からは、親たち・先祖のやったことに対する責任は引き継がれて当然でもある。

 そう考えると「戦前・戦中・戦後」に分けること自体が意味のないことになる。

 そして、なぜアジアの一部の国で「反日」が問題になるのか、なぜ日本だけが侵略国とされ、いまも許されないのか。その答えは、彼らが本当の「戦後責任」を知らないためである。彼らに限らず、実はいまだに戦争を続ける世界の国々が、本当の「戦後」を知らない。

 どういうことか?

 「戦後責任」の本質について

 戦後生まれにとっては、親たちが始めて負けた戦争である。気分的には、教科書で学ぶ程度で「責任がある」と言われても困惑する。だが「ウエルネス@タイムス」的には、常々「先祖供養は未来への投資!」と語っている関係もあり、親たち=先祖、つまりは日本の国の行動は、そのまま自分の責任であると言われれば、戦後責任は戦前・戦中世代と共有すべきものでもある。

 いまも日本は中国・韓国をはじめ、いわゆる連合国から戦争責任を問われる国として存在している。その一方、戦後80年近く戦争のない平和な国として世界に知られている。

 何事も分けて考えて、そこに焦点を当てると、黒が白になる。嘘が本当になると、何度も指摘してきているが、戦争を続ける人たち、日本を責める人たちにだまされてはいけない。

「恩讐を超えて」とメッセージし、あらゆる対立を乗り越えることが平和への道筋だということは、実は「戦前・戦中・戦後」に分けて、戦争責任を問題にしていても、平和は実現しないということだ。現に、その通りの時代が続いている。

「戦後」とは、直近の表現では、第二次世界大戦後ということになるが、人間の歴史、戦争の歴史は、いまに始まったわけではない。「人間の歴史は戦争の歴史だ」と指摘してきたが、世界の歴史は基本的に「戦争と戦後」の繰り返しである。

 太古から続く戦争の一つが終わって、その戦後をないがしろにしてきた結果、また次の戦争が起きる。最終的に持っても使えない核兵器が開発されて、日本はその繰り返しに終止符を打つために「終戦」を宣言して、80年近い平和を実現してきている。一方、世界は相変わらず戦後に向き合うことなく、次なる戦後を目指して戦争を続ける。

 その意味でも、われわれは常に古来から続く戦後責任の中を生きている。

 われわれにあるのは「戦後責任」だけだということがわからないうちは、平和は実現しない。本当の「戦後」の責任を真に実感し、共有しないため、相変わらず危険な武器を手にして、戦争を続けていられるからだ。

 そこでは、日本から遠いロシア・ウクライナ戦争もイスラエル・パレスチナ戦争も、現代に生きる者の責任である。だが、現実にはよくある様々な支援、平和記念式典などが、まるでそれらを遠ざけるための免罪符のようになっている。

 そんな世界の歴史の中で、日本には争いのない縄文時代があり、武力とは無縁の皇室があり「終戦」と「平和憲法」がある。

 世界にはほとんど戦争の歴史しかない中で、唯一の例外とも言えるのが、古くから神道が身近にあった日本なのである。

 世界を救う日本の「神道」

 今日、世界的にスピリチュアルな世界に興味のある人たちから、宗教関係並びに世界平和に携わる人たちによるアセンションの到来が、その必要性とともに予告されている。

 アセンションとは本来、キリストの昇天を意味することから、次元の上昇の意味に使われる。通常の変化とは異なる画期的な革新・進化である。

 アセンションが声高に語られるのは、現代が時代の転換点にあることからバージョンアップが話題になるためである。

『神道が世界を救う』(マンリオ・カデロ、加瀬英明共著)という本もある。そこでの日本は「戦後」を「終戦」という言葉を用いて、本当の戦後にしたことによって、改めて世界が目指すべき平和のモデルとなっている。

 それが、これまでも指摘してきた日本の原点である縄文時代とともに、権力・武力とは無縁という世界に例を見ない天皇・皇族制度の存在。そして、戦後の終わり(終戦)を宣言するとともに「平和憲法」を手に入れた結果、「昭和・平成・令和」と3代続く約80年の平和を実現している。

 そのベースにあるのが、日本の神道であり、出羽三山の開祖、蜂子皇子の修験の霊統を受け継ぐ神林茂丸師が、天皇家の祭祀を司る伯家神道の最後の血統である子爵・白川資長王から白川神道を継承する意味でもある。

 白川資長王は1959年6月、神林茂丸師は2003年6月に没している。

 その血統、霊統は一般財団法人「梨本宮記念財団」梨本隆夫代表理事に引き継がれて、およそ30数年、世界平和への取り組みを自らの役目としてきたわけである。

 同時に、梨本宮家を継いだ者として、当然ながら韓国・李王家との関わりもある。

 李王家(李垠殿下)に嫁いだ梨本宮方子女王は、2人の王子を生んだ。長男はわずか8カ月で毒殺されたと言われているが、日本で育った次男の李玖殿下は2005年7月に日本で亡くなっている。

 旧・赤坂プリンスホテルに住んでいたときに、筆者も梨本代表理事と一緒に訪ねていったことがある。

 第一印象は、現在の上皇陛下に似ているというものだ。上皇陛下とは母親同士が従姉妹という又従兄弟だから、当たり前である。

 梨本宮方子女王と李王家との関係については、次回に譲るが、国と大人たちの都合で日本に連れてこられて、表向き日本と韓国・朝鮮をつなぐ存在と言えばその通りだが、それはいわば人質のようなものであった。

 長年、家族と離れて住んで、孤独な生活を送ってきただけに、伏見博明氏のオーラルヒストリー『旧皇族の伏見宮家に生まれて』(中央公論新社)には、李玖殿下と共にアメリカの大学に留学した著者が、二人の性格が違いすぎると語り「李玖さんは、真面目で少し暗い方なんです」と書かれているのも、当然である。

 半ば、人生を諦めたような穏やかさがあったが、その静かさの中には、秘めたる思いがあったようで、これから子どもをつくって、李王家を守り立てることが、自分の最後の望みだと語っていた。

 そんな強さというか、意外な印象もあって、つい「頑張ってください」と、余計な励ましをしてきたのも、すでに20年近い前のことになる。

 だが、それは彼が亡くなる、わずか10日前のことだ。何とも不思議な出会いと突然の別れ、そしていまに続く縁ということになる。

 李玖殿下の19年回忌

 2005年7月19日、梨本代表理事に電話をすると「昨日、大変なハプニングが起きた」と、驚きの事実を告げられた。

 前日の夕方、警察から電話があり「李玖殿下が部屋の中で、便器に腰掛けたまま亡くなっていた」との連絡があったというのである。すでに死後3日ほど経っていて「これから司法解剖が行われる」とのことであった。

 韓国の王族は火葬ではなく土葬のため、急遽、遺体を韓国に持っていって土葬する必要がある。

 日韓友好の一つの切り札として、重要な役割を担うべき人物だっただけに、まさに「これから」というときの意外な出来事である。

 何とも残念な死であったが、梨本代表理事は、当時「何かをやろうとするときには、必ず誰かが犠牲というか、生贄になるんですな」と感慨深げであった。

 しかし、それが悪い因縁をみんな持っていってくれると思えば、自らは戦後処理という本来の使命に改めて向き合うだけということである。

「李玖殿下に予感のようなものがあったとすれば、なぜ自分が生まれ育った赤坂プリンスホテルに戻りたがったのか。死期を予感していたわけではないだろうが、いまとなっては不思議な感じがする」と語っていた。

 あれから19年、梨本代表理事はその後も、李玖殿下の年忌祭がある度に韓国に飛んでいた。又従兄弟である天皇陛下、現在は上皇陛下の名代として、李王家の主催する年忌祭に出席してきたわけである。

 それは梨本宮の六代目を継承した者の務めであると同時に、天皇家の神道を司ってきた白川伯王家を継いだ者の務めでもある。そして、それがそのまま日韓・北朝鮮友好のための活動に直結している。

 梨本代表理事の行動、つまりは毎月15日の靖国神社参拝、北朝鮮の軍人軍属の遺骨が眠る目黒佑天寺への参拝、毎月23日の白川伯王家墓前での祭典を行う理由である。

 それは他の誰かができるというものでもない。厳しい勤め・役目である。だが、そのことが、なぜか称賛よりは、むしろ如何わしい行動のように伝わってきたのも、不思議なことである。

 旧皇族・天皇家周辺には常にきな臭い、如何わしい連中が屯していたためでもあるが、そんな中、20年どころか30年も戦後処理、参拝を続ける姿を見てくれば、これまであ

った、いや今なおあるらしい様々な誹謗中傷が何だったのかという気にもなる。

 事実、韓国では来年の20年忌祭を控えて、今年はこれまで梨本代表理事と李玖殿下に関する事実について、間違って伝えられてきたことの嘘が明らかになったようで、李玖殿下のお墓も見違えるように立派なものになっていたという。

 新たに墓碑が建立された他、きれいに整備されて、いわば梨本代表理事同様、名誉と信頼を回復したようなものである。

 それも、これまで李王家に伝わっていた話と事実とが異なっていたためだが、ようやく梨本代表理事が李玖殿下の生活等の面倒を見て、最期まで李玖殿下のお世話をしてきたことなど、日韓友好のためにやってきたことの真意が理解された。

 結果、2024年11月15日の靖国神社参拝の日には、李王家の代表が来日して、梨本代表理事とともに参拝することになっている。

 時代は、そこまで変化してきているのである。

「恩讐を超えて」との時代を超えるメッセージを、日本の歴史とともに刻まれて、今日に受け継いできた一人が、出羽三山開祖の蜂子皇子であり、白川伯王家と梨本宮家の歴史である。皇族で唯一、戦犯として巣鴨プリズンに収監された守正王も、李王家に嫁いだ梨本宮方子女王も日韓友好のための前提としての「恩讐を超えて」というキーワードを自ら実践する人生の決断を宿命的に担ってきた。

 そうした歴史の中にこそ、恩讐を超える方法としての「道」並びに知恵がある。

 その霊統を引き継いだのが梨本代表理事である。求められる使命の大きさ、厳しさを思えば、愚かにしか思えない言われなき誹謗中傷など、温かいエールのようなものだろう。

少しは自らをいましめ、さらなる高みを目指す闘志をかき立てる役に立つからである。


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