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  • vegita974

コロナが暴いたメディアのお粗末さ 無名ジャーナリストの仕事3(デビューのころ)


 コロナが暴いたメディアのお粗末さ 無名ジャーナリストの仕事3(デビューのころ)




 無視される「コロナが治った」という情報

 巷には、難病をはじめガンや生活習慣病などなど、多くの体験談や治療法

が出回っている。「ガンが治った」「ガンが消えた」といった類の本である。

 ところが、新型コロナ下の現在、コロナ関連本は続々と出版されているが、なぜか「コ

ロナが治った」という記事や本には、まずお目にかからない。せいぜい研究所レベルで治

療薬が開発されたといった程度で、ワクチン以外の対応策はないといった印象が強い。

 治療法も解熱鎮痛剤と炎症を抑えるステロイド剤、肺炎の悪化を阻止する酸素補給など

で、わざわざ大病院に行って受けるほどの医療行為とも思えない。


 そんな中、メキシコ・プエブラ州の代替医療専門学校(マシャック代替医療専門学校)

の病院付属研究所で、日本の技術を用いてコロナ患者の98%以上を快復させているとい

うデータは、有名メディアからは無視され続けている。

 無名ジャーナリストは緊急事態宣言が発令された昨年から「コロナは治る」という情報

を、データとともに関係各方面に送ってきた。

 日本の政治家として初めて、コロナに罹った代議士には、事務所に電話をした上で、デ

ータを送り届けている。スクープを連発する人気の週刊誌の編集長や記者の他「タブーに

挑戦!」を標榜する雑誌のデスク、有名ジャーナリストなどである。

 結果は、どこも取り上げるところはない。返事があればまだしも、多くは不安を煽るこ

とには熱心でも、コロナやワクチンが売り物になっている中では「コロナが治る」ことな

ど、余計な情報ということのようであった。



 当てにならない有名ジャーナリスト

 ある有名ジャーナリストの場合、昔から彼の仕事を手伝っていた友人から、以前「やっ

ぱり有名になると、彼も昔とはちがって守りに入っている」と言われたことがある。結果

はその通りにスルーされた。

 長いつきあいのある人気週刊誌の編集長には「メキシコでは日本の技術を使ってコロナ

が治っている。不倫スキャンダルもいいけど、たまには日本の将来が明るくなるような情

報を流したら」と伝えてきたが、たぶん資料などチラッと見ただけでボツにされている。

「読者受けしない」要は「売れない」と判断したのだろう。

 結局、彼らにとっては、ビジネスになればともかく、遠いメキシコの事例では、たとえ

良い情報ではあっても、自分には関係ないし、コロナで困っているわけでもない。そんな

情報よりも、不安を煽ることがテレビや週刊誌の仕事というわけだ。

 いまもワクチン接種を一番の解決策と煽っているが、雲行きが怪しくなると、製薬会社

の言葉と説明をそのままにブレークスルー感染(ワクチン接種後の感染)とか、ブースタ

ー(追加免疫)接種といった外来語を交えて、変異株やデルタ型など、感染力が強いウイ

ルスの脅威を煽っている。これでは何のためのワクチンだったのか。当初言っていたワク

チン効果とは何だったのかと考えないのだろうか。



 命が怖くてジャーナリストはできない

 そんな彼らの姿は、頼まれれば自分ができることは何でもやる無名ジャーナリストには

不思議でしかないが、振り返えれば、実はいつものことだと気がついた。

 ジャーナリストデビュー当時、よく言われたことが「命を狙われたことないんですか」

とか「命が恐くはないんですか」ということだった。

「エッ!」どういうことか。

 何度か言われるうちに、要は無名ジャーナリストが記事にしたり、本にしている対象や

企業など、関係する勢力から命を狙われたことはないのかということとそんな危険なこと

を手がけていて、君は命が惜しくないのかということであった。

 命を恐れてジャーナリストはできないだろうと公言してきた無名ジャーナリストには、

意外な反応でしかないが、実際には多くのジャーナリストが命どころか、職を失うのを恐

れて、折角のスクープや内部告発ネタを自己保身のために自ら握り潰す。結果、そのネタ

が巡ってきて記事にして、本にしてきたというのが、無名ジャーナリストの仕事のような

ものであった。

 その顛末自体、実にいい加減だと思うが、当時もいまも基本的に変わることはない。



 ジャーナリストとは何か?

 改めて「ジャーナリストとは何か」と考えた時、辞書には新聞や雑誌などの記者・編集

者・筆者と出ている。

 新聞・雑誌などのメディアを舞台に、日々のできごとを報道する仕事である。

 以上の前提を踏まえて、今年亡くなった立花隆氏は、ジャーナリズムについて、特に重

要な使命として「時代の最先端を扱うこと」を上げている。文明論から宇宙、医療まで、

時代に先駆けて自らの仕事にしてきたのは、そのためというわけである。

 無名ジャーナリストの仕事も似たようなものだが、改めて問われたときは「ジャーナリ

ストとは、どの分野に限らず、何かが起きた場所に行って見て聞いて確かめて伝えるとい

うもので、その仕事の本質は常に誰かの代わりということ」と答えている。

 実際、無名ジャーナリストはデビュー以来、常に有名ジャーナリスト、専門の業界ジャ

ーナリストの代わりに、あらゆるテーマを取材し、記事を書き、本にしてきた。

 そのときいつも「何で私が?」と思いながら、やっていたことを思い出す。



 にわかジャーナリスト修行

 医者や弁護士などとちがって、ジャーナリストは定義こそ、それなりにあるが、作家・

詩人などと同様、特に資格めいたものはない。名刺にジャーナリストと肩書をつければ、

誰でもジャーナリストを名乗ることができる。

 いい加減なようだが、嘘ではない。事実、無名ジャーナリストのデビューは、大学卒業

時、進路に迷っていたところ、父親の知人から雑誌の編集部を紹介され、編集部付き記者

になったのが、そのスタートである。10人程度の編集部だが、その一角に専用デスクが

用意されていた。

 正確にいうと、学卒で、突然プロ編集者の仲間入りというのも無理があるので、にわか

プロになるため、実際に仕事をしてみましょうと、2つほど仕事をした。


 一つが、少女向けティーン雑誌の特別付録のようなもので、およそ100ページの星占

いの本づくり。無名ジャーナリストの担当は、アンカー。資料の本とデータ原稿、レイア

ウト用紙を渡されて、指定どおりの行数、文字数にまとめるというものだ。

 おかげで星占いには詳しくなったし、楽しい仕事であったが、唯一の苦労が、語尾など

言葉づかいを少女向けに可愛らしくすること。成人男子には、ちょっと恥ずかしい。

 それでも褒め上手の知人から「お上手ですね」と言われて、すっかり駆け出しの作家気

分は味わえたし、何よりバイト代が当時の初任給の半分以上になったのだから、割りのい

い仕事だというのが最初の印象である。

 次に、レイアウトの仕事をやってみましょうということで、大手印刷会社で料理ブック

づくりを手伝った。編集の手伝いのついでに、原稿と写真のポジフィルムとレイアウト用

紙を持たされて、デザイナールームに行っては、見よう見まねで器械を扱いながら、写真

をトレースし、レイアウトを完成させる。こちらは、自分でもデザイン的に大胆さに欠け

るという印象であった。



 ジャーナリストになる方法

 いい加減なプロ修行を終えて、やがて雑誌がスタートすると、同年代の新たな編集見習

いが2人やって来た。

 1人は、その出版社で小説を出している作家の紹介だからまだしも、もう一人は編集長

の自宅近くの風呂屋の常連だったという裸のつきあいである。

 もともと、出版社に就職を考えていたところ、どこにも受からず、どうしたものかと思

案していた彼に「じゃあ、ウチの編集部に来たら?」と言われてやって来た。

 実にいい加減だが、当時はそんなものだった。だが、その3人ともやがてジャーナリス

トの肩書で、それぞれ得意分野を持って、署名記事を書き本を出版しているのだから、運

も実力のうちというのが、本当のところかもしれない。

 当時からジャーナリズム専門学校などもあり、きっかけは様々だが、プロして通用する

かどうかは、要はやる気の問題が大きい。

 そこそこの才能は必要なようにも思うが、才能に勝るのはやる気と努力だ。



 才能より努力と根性

 当時、新聞社系週刊誌で仕事をしていたライターが、弟子と言っても、新婚の弟子をつ

れてきたことがある。雑誌の取材に参加し、原稿も書いていたのだが、明らかに才能に欠

ける。

 先輩ライターも「君は妻子を養わなければならないのだから、ライターではなく、会社

勤めをしたほうがいい」と、いわば辞めなさいというのだが「辞めないんだよな」とボヤ

いていた。

 ライター稼業は、当時「役者と乞食と同じで、3日やったら止められない」と言われて

いた。続けていれば、不思議に食べていける商売だと知っている無名ジャーナリストとし

ても「転職したほうがいい」と助言したものだ。。

 しかし、人生はわからない。その後、ベストセラー本を出して、いわば一山当てた先輩

ライターは、副業にマージャン屋を開業。その後は「あの人は今?」といったメディアの

片隅に登場する程度なのに対して、辞めなさいと言われた彼は、書籍を出版。夕刊紙など

のコメンテーターをしているぐらいで、才能を努力と根性でカバーしている。



 初めてのスクープ記事のいきさつ

 いい加減さは、無名ジャーナリストの場合も変わりはない。

 たまたま雑誌の編集部のデスクが用意されたとはいえ、編集手伝いでは先がない。

「何か、取材してみたら」と言われて、同世代のアングラ女優を取材したことは、前回紹

介した通りである。

「門前の小僧、習わぬ経を読む」とことわざにはあるが、記者の名刺を持たせられて、取

材のマネごとをしていれば、ネタも転がってくる。

 最初の記念すべき署名記事は、当時、雑誌編集部に出入りしていた事情通から得た情報

を基に、日本のビールメーカーの不都合な真実、当時問題になっていた古々米使用などを

暴いたものだ。

 何しろ、初めての署名記事である。「取材した内容を、一度テーマごとにデータとして

まとめて、最後に最終原稿として仕上げたほうがいい」と、担当デスクに言われて、締め

切り前に一通り仕上げて提出した。

 だが、華々しいデビュー作の仕事はそこまで。自分でまとめるつもりでいたところ、仕

事のできるデスクが代わりにまとめて「これでどうだ」と、完成原稿を見せられた。

「エッ、自分で書くんじゃないの」と思ったが、それが業界を揺るがせることになった衝

撃のデビュー作の内幕である。

 いい加減さの延長線上にある無名ジャーナリストの仕事だが、後日、国会でも問題とさ

れ、ビールに原材料表示がされるようになったのは、その結果である。



 コロナが明らかにするメディアのお粗末さ

 無名ジャーナリストの仕事は、振り返ると、基本的に、その時代に必要とされ、誰も書

かないテーマを記事にし、本にしてきたと言えないこともない。

 結果、いまもワクチンに代わるコロナ治療法を紹介しているわけである。個人的な印象

は、常に「孤軍奮闘」といった虚しさである。

 過去の仕事も、現在のコロナ問題も、その図式は変わらない。

 コロナは茶番として、PCR検査の不備やワクチンの危険性などを問題にするネット市

民やユーチューバーが、マスメディア同様、コロナが治るといった情報、治療法を紹介す

ることはない。

 そこにはたとえ、コロナが治る、そのデータがあるとしても「一企業の商品を取り上げ

るのは、特定企業の宣伝・広告になるため、紹介できない」と、何でも自由で制約がなか

ったネット世界に、弱者や消費者の利益ではなく、強者、体制側に都合のいい“常識”を

持ち出してくる。

 実に不可思議だが、ファイザーを筆頭にしたワクチン企業は「一企業」どころか、大き

すぎる一企業である。その一企業の特定商品を宣伝・広告どころか、各国政府を巻き込ん

で、治験もすんでいない初めての遺伝子ワクチン(RNAワクチン)の承認・接種が進め

られているのである。

 ネット上で彼らは、マスメディア等を批判し、ワクチンの危険性を暴き、対抗している

つもりでも、何の答えとなる治療法を提示することがないのだから、相手の土俵で茶番を

演じているようなものだろう。

 彼らが遠くから吠えているだけで、戦い方としてお粗末な結果、無名ジャーナリストが

「コロナは治る」、「コロナは怖くない」といった情報を、データとともに紹介している

わけである。

 その点、堂々とyoutube動画「コロちゃんからの帰還」に登場。コロナは治る、

コロナは怖くないと、実名でコロナにかかった一人暮らしの長男のコロナ克服とコロナに

かからなかった家族の勇気を少しは見習ったらどうかと思う。

 第1号に「メキシコの事例」に関する原稿が出ている。

(次回は、政治とコロナについて)



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