「月刊タイムス」連載「ライオン創業者・小林富次郎の実像」第1回
「聖書と経営」を実践したサスティナブル企業経営
2024年12月号の『月刊タイムス』で「聖書と経営」を実践した「ライオン創業者・小林富次郎の実像」(早川和廣)の連載をスタートしています。
もともとは「ウエルネス@タイムス」の「フォトギャラリー」でレポートしたのが縁で、旧知の『月刊タイムス』香村啓文社主から頼まれて始まったものです。
出版不況の中、ネット全盛の時代に、なお活字メディアを続けて、2025年には創業50周年を迎える節目にあるということですが、今後も活字メディアを続けられるかどうか、その瀬戸際にあるようです。
というのも、雑誌名には「月刊」と謳ってありますが、すでに隔月刊であり、連載第2回目は2025年2月号(1月半ば発行)への掲載ということになります。
連載第2回ではサスティナブル経営をテーマに、近江商人の「三方よし」に、もう一つの要素を加えた「四方よし」の視点から「ライオン」についてレポートしています。
以下、なかなか雑誌『月刊タイムス』を手にする機会がない読者のため連載第1回目のレポートを転載いたします。
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100年企業とサスティナビリティ
地球は生命体である。「ガイア仮説」を持ち出すまでもなく、地球はわれわれ人類と同じように、命があるとともに、様々な活動をしている。
企業も同様であるが、「企業の寿命30年説」が、一時流行ったことがあったように、100年企業はそうは多くない。
人に限らず、伝統文化が血となり肉となるのは、最低3代、100年近くは要することを思えば、ライオン株式会社は典型的な100年企業の一つである。
ちなみに、100年企業の条件とは、いろんな要素があるとはいえ、ライオン創業者が実際に示したように、まずは従業員を家族として大事にする「ファミリー企業」(家族的経営)であること。そもそも「明確な理想、企業理念」があって起業し、その目的にあった企業体であること。そして「創業者の思想と信念」が、常に経営に息づいていることである。
それは流行りの言葉にすれば「サスティナブル経営」ということになるが、企業価値という面からは、単純に歴史が長くサスティナビリティ(持続可能性)があればいいわけではない。社会にとって有用で、必要とされ価値ある存在でなければ、存続する意味がないからだ。
「憎まれっ子、世に憚る」というが、悪徳企業が大きな顔をし、あるいは公序良俗など無視して、巨利を独占する今日の勝てば官軍、万事カネの世の中であればなおさらである。
「聖書」を抱いた企業人
新一万円札の肖像画は、日本の資本主義の父と言われる「渋沢栄一翁」になった。電子マネー化が進行する中での新札の発行、特に渋沢翁の登場は、マネー資本主義の限界が、明確になっている現在、最後の一万円札になるとの予測もある。
渋沢翁の今日における価値は、「論語と算盤」という道徳と経済を両輪とする成功モデルを、明治期から推進・展開して、1000社以上の株式会社、社団・財団などの事業団体を誕生させていることだ。
その渋沢栄一の「論語」の代わりに「聖書」をビジネス展開の指針としたのが、ライオン創業者の小林富次郎である。クリスチャンの彼は「算盤の聖者」とか「聖書を抱いた経営者」と言われた。
小林富次郎は幕末の風雲急を告げる1852年(嘉永5年)2月に生まれ、1910年(明治43年)12月に58歳で亡くなっている。
死の1年後の1911年(明治44年)11月には、創業者の遺徳を讃えるとともに、その精神を将来に伝えていくため、『小林富次郎伝』(初版)が当時のライオン歯磨株式会社から出版されている。
さらに、創業者の生誕100年祭を執り行った1951年(昭和26年)には、その数々の業績を忍ぶとともに「ライオン」の将来の発展に資するものとして、また知己友人の座右に供えてもらおうと『小林富次郎伝』第三版(非売品)が出版された。
筆者の手元にあるのは、同年4月に出版された第三版である。
加藤直士著『小林富次郎伝』(初版)に、新たに中尾清太郎氏編集による「聖書日々実行訓」(後に改題して「先代の言葉」)を付録に加えて、出版されたものだ。
当時の創業者が、いかに世間の注目を集めていたかは、カトリック青年会館で行われた盛大な葬儀の様子とともに、多くの人が見送る葬列を収めた映画フィルムが2011年、国の重要文化財になっていることでもわかる。
とはいえ、歯磨き・洗剤・目薬等の企業「ライオン」を知らない日本人は、まずいないはずだが、創業者について知る人は少ない。ほとんど、忘れられた存在である。
創業者の「ふるさと」柿崎
「ライオン」の本社ロビーには、創業者を紹介するコーナーが設けられている。
創業者の顕彰は、本来、企業「ライオン」の仕事だが、今回『小林富次郎伝』の翻訳・翻案を進めるのは、ライオンとの個人的な“縁”と思いからである。その意味では筆者なりの創業者へのオマージュ並びにライオンへのエールのようなものである。
そのライオンの創業者が「ふるさと」と語っていたのが、新潟県である。
ところが、新潟出身の著名人を紹介した『新潟県が生んだ100人』(ふるさと人物小事典)など、一連の新潟関連書籍には、小林富次郎の名前はない。2016年に出版された小松隆二著『新潟が生んだ七人の思想家たち』(論創社)に、相馬御風、小川未明、大杉栄らとともに取り上げられている程度である。
なぜ、新潟を「ふるさと」と称するライオン創業者を、新潟県並びに新潟のメディアが取り上げようとしないのか、いささか不思議な印象を受けたものだ。
そんなモヤモヤがあって『小林富次郎伝』を手に取ったわけである。
伝記は葬儀の様子が詳しく描かれている一方、遺体が火葬場に運ばれ葬式を終えた後、遺骨がどこに運ばれ、埋葬されたのかについては記されていない。
以前、ライオン広報部(コーポレートコミュニケーションセンター)に、問い合わせた際にも、創業者がどこに埋葬されたのか、いわゆるお墓については「把握していない」との回答があった。
創業者はクリスチャンであるが、小林家の菩提寺・柿崎の光徳寺には、死の前年に建立された「堅忍遺慶の碑」がある。「堅忍遺慶」とは耐え忍んだ、その後に慶(よろこ)びが遺(のこ)るとの意味であり、創業者の人生を象徴する言葉とのことである。
浄土真宗門徒として生まれ、クリスチャンとして葬儀を行った創業者が、死の一年前、小林家の菩提寺に、自らの人生を象徴する言葉を刻んだ石碑を建てたのは、どのような思いであったのか。
光徳寺の篠原真住職の話では、小林家の先祖の墓には、創業者の遺骨は埋葬されていないという。とはいえ、毎年、創業者の命日にはライオン幹部がお墓参りにやって来るとのことである。
「広告王」と称された創業者
小林富次郎は酒造業を営む小林家の次男として、埼玉県与野町(現在のさいたま市)に生まれた。4歳のときに、新潟の柿崎・直海浜に住む祖父母に預けられて、16歳まで育った。彼が新潟を「ふるさと」と称する由縁である。
その後、生家にもどって家業を手伝った彼は、やがて石鹸、マッチの軸木などいくつもの事業を展開する中、何度も窮地に陥った後、1891年(明治24年)「小林富次郎商店」を開店した。
2年後には石鹸製造販売、5年後に歯磨き粉の製造販売を始めて、大成功を収めた。
その経営の原点には、キリスト教との出会いによる社会奉仕活動があったことから「聖書を抱えた経営者」などと称されたわけである。
日本の高度成長とともに、日本的経営が脚光を浴びた際、その良さをすべて明治期から実践してきたのが、ライオン創業者であった。
創業時のライオンが、いかに独創的であったかは、次のようなチャレンジからもわかるはずだ。
例えば、歯磨きの米国輸出も、近年流行ったメセナ(慈善事業)も、近江商人の「三方よし」なども、みな明治期に実践している。そんな典型的な例が商品を慈善事業に役立てる「慈善券付きライオン歯磨」の発売であろう。マーケティング的には、ベルマーク運動の先駆けのようなものだ。
「広告王」と称された小林富次郎だけに、なかなかのアイデアマンで、日本初のCMソング、大相撲無料招待キャンペーンの実施など、様々なことを通して「広告は商品を育てる肥料である」ことを実践した。
「愛の精神の実践」は今日に至る同社のDNAとなっているとのことだが、「ライオン」の親しみやすさ、事業を通して社会に奉仕する社会貢献活動の基礎となっている。
創業者の一連のアイデア及び事業は、現在の広告代理店「電通」の広告戦略を一社で展開している、そんな印象さえある。
海老名弾正牧師の「序」
もともとの『小林富次郎伝』初版の「序」は、明治44年、百十余年前に海老名弾正牧師が書いている。
海老名弾正牧師と聞いても、キリスト者であればともかく、いまではほとんど知る人はいないと思われる。当時の彼がどのような人物だったのか。近年の宗教界に、相当する人物はいるのかと考えたときに、なかなか思い当たる人物はいない。
故人であれば、キリスト者ではないが「昭和の快僧」として知られた禅僧・朝比奈宗源師、あるいは陽明学者の安岡正篤氏が序文を書いたようなものだろうか。
「序」の文章は、明治時代末の旧字体によるものであり、現代人にはあまりに格調が高過ぎて、解読するのに苦労する。
以下、「序」を現代風に改めて、その全文を掲載(一部要約)する。文章の格調の高さが、創業者の価値を証明していることがよくわかるはずだ。
その内容は創業者を題材に、サスティナビリティが企業社会にも求められる時代に、多くの人たちが聞くべき内容でもある。
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誰か身体の強健であることを、一生の幸福としないものがいるだろうか。
誰が該博なる知識の蓄積を望まないだろうか。巨万の富、利益を望まないだろうか。
これらはみな人の求めて止まない、もっとも大きな財宝である。身体の強健と該博の知識、巨万の富を欲するのは、人情の常である。
しかも、これらを兼ね備えることの、いかに困難かは人のよく知るところでもある。
身体の強健であるとともに、富豪たることは実に稀である。巨万の富を蓄える者、必ずしも博識の人ではない。富と博識を兼ね備えたとしても、健康でなければ、幸福な人生を全うすることはできない。
だが、これらを得られなければ、絶望の淵に落ちるしかないのだろうか。
私の実体験では、人生とはこのように単純なものではない。身体の壮健と該博の知識、巨万の富は人生のすべてではない。
ある人、小林富次郎翁に向かって曰く「人はパンのみにて生きるにあらず」との聖書の言葉など、まったく理解しがたいと。
小林氏、答えて曰く。「もし人がパンのみにて生きるものならば、それは由々しき一大事であり、人生は呪うべきものとなって、これほど人にとっての不幸はないと。
これ、小林氏の深き実体験より湧き出たる答えにほかならない。人生は極めて複雑なものであり、極めて深遠なものである。
「能ある鷹は爪を隠す」とことわざにはある。常人の知らざるところに見えない能力があり、この能力があればこそ、強健の身体と該博の知識と巨万の富を持つ人にも負けない、
真の幸福の生涯を送ることが可能になる。
私は小林富次郎翁に、その実例を見る。世間は小林氏は巨万の富を作りたる成功の人だ
と思っている。私の見るところは、これとはまったく異なる。
小林氏は巨万の富を築いた古河市兵衛でも、大倉喜八郎でも、平沼専蔵でも、安田善次郎でもない。その事業を実施するに当たっては、しばしばその資金繰りに行き詰まり、辛うじてその難関を通り抜けてきた人である。
彼はもちろん失敗者ではないが、単なる成功者というべきでもない。彼のように財産を築き上げた者は、世間にはいくらでもいる。とはいえ、彼が多くの成功者と異なるのは、そのわずかな富をもって、巨万の富をかち得た古河、大倉、平沼、安田等の富豪を凌ぐ公共的慈善事業をなしていることである。
世間にこれらの大富豪を徳の人とするよりも、小林氏を徳の人とするものが多いのは、なぜなのか。小林氏には天から来る霊力・霊能の自覚があるからである。(以下、次号)
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いまも日本の経済界に多大な影響力を持つ成功者として知られる古河財閥の創始者・古河市兵衛は、明治期を代表する実業家だが、足尾銅山鉱毒事件の当事者でもある。大倉財閥の創設者・大倉喜八郎は、そもそも武器商人として成功した実業家である。相場師にして、衆議院議員にもなった平沼専蔵は、当時から「大悪党」の異名の持ち主である。そして、安田財閥の祖・安田善次郎は右翼・神州義団団長に刺殺されている。
海老名弾正牧師が、彼らの名を上げて、その対極にある人物として「ライオン」創業者・小林富次郎翁の名を上げているのが、『小林富次郎伝』の「序」であることを思うと、ずいぶん過激な記述である。
だが、彼の指摘が嘘ではないこともまた、その伝記を読めば、よくわかる。
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